一月号のレポートで、道具は人類の生産性活動を
可能にし物質的な向上を実現した。これを機に人々は
精神的な満足を求めだした。
この物質と精神の価値観のバランスをどのように
取るべきか新たな課題が発生した。
そして近代、先進国の中でこのバランスがくずれ
予想外の矛盾を生じさせ始めたことを述べました。
十分に受けているにもかかわらず、オカルト的宗教を
信じ、本能的、直感的判断からしても誤っていると
すぐわかる行動を平気でとる人の出現が問題として
あらわれたのです。
また、これらの反動として知的訓練や知的能力の
向上は人にとってそれほど重要なことではないと
考える人が増えてきだしたのです。
物質の考え方も物が溢れると、その基本から遺脱し
金がすべてと考える人も増えてきだしたのです。
その成果の上に成り立っていることは事実なのです。
このことを認識するということは、現状認識の絶対
条件なのです。
そのうえで相対条件として、精神性と物質性の
バランスを論議するのが現代において常識なのでは
ないでしょうか。
の発達に支えられてきました。「ケプラーの法則」も
「ガリレオの地動説」も望遠鏡が無ければ生まれ
なかったでしょう。しかし科学技術の発達は、人を殺す
ための戦争の道具も発達させたことも事実なのです。
道具は人間生活の全ての分野に普及しています。
そして人間に、肉体的、精神的、知的、経済的、
政治的などそれぞれの面でプラスとマイナスの影響を
与えています。特に問題なのが、道具が与える精神的
倫理的な悪い影響でしょう。
道具は、直接的な感覚無しで目的を達してしまいます。
ボタンを軽く押すだけで数十万人を一瞬にして殺して
しまいます。力の弱いものがナイフで簡単に人を殺して
しまいます。インターネットを使って集団自殺を呼び込み
実行してしまいます。
汗と苦痛を伴わない体験、即ち現実とみまがうまでの
バーチャルな映像が実体験の一つとして組み込まれて
しまうのです。道具の発達が個性を軽視し、無くしつつ
あります。個性の大切さより集団(全体)の中での一定
の役割の方が強く要求されだしているのです。
という根源的問いを自ら発し、深く、広く、考え続づける
ことが、現代人に強く求められているのではないで
しょうか。
「考える」を大切に 思考館

